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2012年7月8日日曜日

願いを叶える方法は簡単なことだった(3)

3回目は、
聖書「マタイによる福音書7:7~12」 の「門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。 」

についてです。

「自分が思うだけで願いが叶うという」世間の流れに疑問を持っていて、あるとき聖書の中にその答えがあると考えていました。


私が聖書のこの句を読んだとき、『何事も実践が必要なんだよ!』と言っているように思えました。


そして、『思うだけで願いが叶う!』ことはありえないというのが僕の結論です。


だけど、思うことなしには願いをかなえることも不可能であることも事実と思います。




『思う』ということは、心の発露です。


瞑想 する中で沸いてきたり、

家族や友人・先輩・後輩・同僚などとの会話のなかで沸いてきたり、

講演会や研修などを通して気づくことなどです。


人間の言動の原点、動機にその人の『思い』があるのです。


『思い』 には『良い思い』と『悪い思い』があります。

『良い思い』とは、人々の幸せを願うところにあります。
また、『悪い思い』とは、自分のことを優先する願いです。

つまり、一言で言えば優先順位の問題といえるのではないでしょうか?



たとえば、「美味しいラーメンを作ってお客様が笑顔でいられるラーメン屋さん」を作ろうと
思ったとします。

そのために、いろんなラーメンを食べ歩いたり、出店場所を調査したとしますが、そこで止めてしまえば、思いは実現できません。


実際に店を作り 、原材料の仕入れ、売上を伸ばす企画を立てたりなど、全ては思いを実現するための行動です。


どれだけ真剣に、必死に、あきらめることなく続けられるかがポイントです。
結局は、思いを実現するまで努力し続ける気力が大切になります。

2012年2月25日土曜日

願いを叶える方法は簡単なことだった(1)

 昨年は、『願いは叶う』関連の本がよく売れたそうです。
 しかしその話通り、思っただけで願いが叶ったという人がどれだけいたのでしょうか?

ほとんどの人が願いが叶わず、 今に至っていることと思います。

僕は、 この話を聞いたとき、聖書のある言葉を思い出します。

それは、

聖書「マタイによる福音書7:7~12」 です。

この言葉は僕のとても好きな言葉です。



「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」


2000年前のイエス・キリストのみ言葉ですが、この中に『願いは叶う』のヒントが隠れていることに気づきました。

イエス様は、願いを成就させるためには、4つのことが重要であると語っているのではないでしょうか?

1.「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」
まず、「求めよ」から始まっています。
これは、ただなんとなく願うことでしょうか?うまくいけばいいやという軽い気持ちでしょうか?

そうではありません。必死な思いがなければならないのです。願うこと。思うことは波動のエネルギーです。強く思えば思うほど、波動エネルギーも比例して強くなります。さらに強くなれば、やがて渦を巻いて、台風のように周りの人が引き込まれるようになります。

 波動のエネルギーは一人ではあまり力になりませんが、共鳴することで力が増幅するようになっています。


これはヒット曲が生まれる理由でもあります。

たとえば、秋川雅史さんの「千の風になって」 やAKB48の「GIVE ME FIVE!」など
多くの人が共鳴したからこそヒットになったと思います。

また、歴史的には、イエス・キリストをはじめとする宗教指導者、キング牧師 の無抵抗主義、
赤穂浪士47士、ナイチンゲールの看護活動、など


信念とも言えるその思いが強く、長く続くことが大切ではないでしょうか?